100人斬り訴訟の棄却(追記)

コメントで指摘されたので追記

判決では以下の理由により棄却。
※Webでは判決文が見つからないので、転載

2 被告毎日に対する請求について*1
 (1) 上記のとおり,現時点において,本件日日記事が虚偽であることが明らかにな
  ったとまで認めることはできないというべきであるから,被告毎日に対する請求
  は認められない。
 (2) さらに,原告ら主張に係る不作為の継続的不法行為は,被告毎日による本件日
  日記事の発表という先行する作為が違法であることを前提として,その違法状態
  を是正しないことをもって不法行為の内容としているものと認められるから,当
  該作為である本件日日記事の発表が終了した日をもって民法724条後段の除斥
  期間の起算点とすべきであり,本件日日記事の発表は,遅くとも昭和12年12
  月13日に終了しているから,同日から20年をはるかに超えた本訴提起の時点
  においては,同条後段の除斥期間を経過したものであると認められる。

(1)については本人たちがホラ話だったとしてもそのような話をしていること、また司法としては物理的な根拠があるわけでもなく、白とも黒とも言えないのは当たり前。(2)については法治国家としては当然のこと。


「100人斬り肯定派」が100人斬りの事実認定を訴訟で起こしても、同様に棄却される。
どのみち地裁が明確な虚偽と断定することは、悪魔の証明*2をすることになり、無理だ。



ここまではよい。



では、被告となったメディアの責任はどうなっているのだろう?

60年も前のことだから、確証もなくその場の勢いで記事を書いたことが許されるのか?
毎日新聞は自分自身で記事を否定しているわけだが、記事の信憑性が疑わしいことを認めないのか?*3
現在に至っても朝日新聞の報道は胡散臭いものがある*4
ホンカツ本の取材への批判は当然のことではないの?*5



記事の裏づけがきちんとなされないことを認める=100人斬り否定ではないわけだが、後世発見された資料ではなく、記事が書かれた時点で記者が知り得た情報からは裏づけが取れているとはとても思えない。仮に事実だとしても、そんな適当な報道が許されたらたまったものではない。


テレ朝の所沢ダイオキシンの訴訟*6でもそうだけど、公共の利益(実際には企業の利益なわけだが)のためには多少なりとも不備のある情報でも報道するべきだ=判断は受け手に委ねられるというのはあるのかもしれない。しかしそれはメディア自身が厳しい自己批判を繰り返していることが前提ではないのだろうか。


故に、自己擁護に走るこれらの発言は納得がいかないのである。

 ▽毎日新聞社社長室広報担当の話 当社の主張が認められたものと理解しています。
 〈朝日新聞社広報部の話〉 当社の主張を認めた判決と受け止めています。
 本多氏は「全く当然の判決。もともと歴史上の事実で、疑問の余地はない」と淡々とした表情。「本来、歴史のテーマである問題を裁判に持ち込んだこと自体、南京大虐殺や中国侵略の事実を否定しようとするものだ」と指摘した。


※100人斬りも南京「大」虐殺も、原爆被害者のように名簿を提示してくれればよいのにね。